2008年2月25日月曜日

古都・鎌倉を駆ける 人力車をひいて25年

古都・鎌倉を駆ける 人力車をひいて25年

 左手を前、右手を脇に添え、かじ棒をすっと引き上げる。目の位置が30センチほど高くなるだけで、座席から見る風景の印象が一変する。

 「それでは参ります」

 滑るように人力車が走り始める。走行中、座席が上下に揺れることは、まったくといっていいほどない。車を引く青木登(59)の腰の位置がぴたっと決まっているからだ。

 「かじ棒が地面と平行に移動しないと揺れてしまう。何年もやって体で覚えていく以外にありません」

 鎌倉の中心・鶴岡八幡宮からまっすぐ海に向かってのびる若宮大路、観光客でにぎわう小町通り、その奥にたたずむ小さな路地。古都・鎌倉の歴史と文化から通り過ぎたばかりのレストランの最新グルメ情報まで、さりげなく紹介しながら人力車は進む。青木にとってはこの四半世紀、走り続けてきた道だ。

 鎌倉の観光人力車の草分けである「有風亭」青木登の平成20年は二重の意味で節目の年となる。サラリーマン生活に見切りをつけ、鎌倉で人力車を引き始めて今年で25年。3月の下旬には還暦の誕生日を迎える。

 いまでこそ鎌倉は人力車であふれているが、青木が昭和59年の元日に開業するまで、鎌倉どころか、東日本を見渡しても観光人力車などなかった。前年の夏、雑誌で読んだ記事を頼りに岐阜県高山市、愛知県犬山市、岡山県倉敷市の先輩業者の操業ぶりを見て回り、人力車一台を購入して10月から北鎌倉の円覚寺前に待機した。

 「幼稚園に子供を送り迎えするお母さんたちに声をかけ、乗ってもらいました。教えてくれる人などいません。重い人、軽い人、走って覚えるしかなかった。12月31日までは自分で決めた研修期間なので、料金はいただきませんでした」

 サラリーマン時代から鎌倉が好きでしばしば遊びに来た。

 三方を山に囲まれ、南は海。「母の膝(ひざ)に抱かれるような」とも称される空間に老舗と最先端の店舗が同居する。古い歴史と文化の蓄積が新しいものを生み出すおもしろさ。桜、紫陽花(あじさい)、海、紅葉。四季の移り変わりが常に新しい表情を見せる。

 「長く住めば愛着が出てくるし、町の人たちからも愛着を持ってもらえるようになる。年ごとに入ってくる風が違う。もっとも、鎌倉は認識してもらうのに幾分、時間がかかるかな。最近、やっと入れたかなという感じ。20年目くらいから風景のひとつとして町にとけ込めるようになりました」

 最初は、商店街を走っていると迷惑そうな視線を浴びることもあった。いまはあちこちから「青木さん」と声がかかる。

 「貯金もほとんどなしに脱サラしたので、最初の年は午後6時から11時まで大船の喫茶店でアルバイトをして食いつなぎました。昼の売り上げは食事代。夜のアルバイトで家賃を払う。そんな生活でした」

 苦境を救ったのは結婚式だった。町を走る人力車を見て、鎌倉出身の花嫁が「あれに乗って式をあげたい」と青木に連絡してきた。

 鎌倉の中心軸である若宮大路には、鶴岡八幡宮から南に800メートルほど、道路中心部に盛り土をして一段高くなった歩道がある。段葛(だんかずら)。寿永元年(1182)、源頼朝が妻・政子の安産を祈願して造営させたという参詣道だ。

 頼朝が征夷大将軍となり、昭和の受験生が「イイクニ」とおぼえたあの1192年より10年も前につくられた中世の道。それがいまも使われている。若宮大路に面した結婚式場・鶴ケ岡会館から鶴岡八幡宮までは400メートルほど。この間の往復を人力車で、と希望するカップルは年々、増え、いまでは年間約300組にもなる。

 新婚の2人を乗せた人力車が段葛脇の車道を進む。歩道の観光客から「わあ、きれい」「おめでとう」と祝福の言葉。桜の季節になれば、花びらがはらはらと新郎新婦に降りかかる。

 花嫁の夢は、新たな鎌倉風景を生み出すとともに、青木にも安定的な収入の機会をもたらすことになった。

 鎌倉に急に観光人力車があふれ出してきたのは7年前のことだ。新規参入業者の強引な客引きが目立ち、警察や市役所に苦情が相次いだこともある。

 それとは対照的に、個人営業の青木とその弟子・有風亭飛車の屋号を持つ清水謙次の人力車は客引きをしない。電話予約と市内の所定スポットでの待機。客から声がかかるのを静かに待つ。目先の利益だけに振り回されることなく、地元の人たちとの長い付き合いを重視する。これが青木のポリシーだ。

 鎌倉は一度も天皇の都であったことはない。それでも「武家の古都」として2010年(平成12年)の世界遺産登録を目指し、準備を進めている。東京五輪が開かれた昭和39年、鶴岡八幡宮の裏山の宅地開発に反対して起きた御谷(おやつ)騒動と呼ばれる自然保護運動が古都保存法制定のきっかけとなった歴史があるからだ。

 現在も若宮大路沿いの建築物は実質的に高さ15メートル以下に制限するなど景観の保護に力を入れている。青木の姿勢は、そうした「まちづくり」のモデルとも一脈、通じるところがある。

 60歳になる青木の次の目標は70歳まで人力車を引くこと。かつて人力車で挙式した花嫁の娘さんに、親子2代の花嫁として人力車で式を挙げてもらう。そんな夢もある。

 青木は週2回、仕事の前に鎌倉旧市街を囲む山道を走り、さらに週2回、体育館で筋力トレーニングに励む。鎌倉の良さをできるだけ多くの人に伝え、2つの夢がかなうまで現役でいるためだ。

出典:MSN産経ニュース